気仙沼市(22日から24日の状況)

国際救急法研究所 理事長 宇田川 規夫

(震災がつなぐボランティアネットワーク メーリングリストより抜粋)

今回の災害が津波災害であり、それに応じた対応が必要だと言う事ががはっきり分かりました。揺れによる被害は仙台市や一関市では壁の崩落など散見しましたが、気仙沼市内では全く見かけませんでした。他の方もそう言っています。一切合切を無くして、下手をすれば巨額の借金だけが残って(昨年のチリ津波で養殖いかだを作り直したりした方々など)今後の生活再建の厳しさはいかばかりかと思います。

ボランティアセンター設立後の当面の活動は避難所支援となりそうです。現在101ヶ所市内に点在しており、まとまった人数が収容できる建物はすべて避難所化しているようです。

23日には避難所に物資を届けてきました。海蔵寺に避難しているグループからは携帯電話の充電器やカミソリが欲しいと言われ、また住民で仮設風呂を作るそうでブルーシートが役立ちました。地区の集会所ではまだ電気、水道が不通でろうそくの要望があり、事前連絡で、もう電気が来たので不要といわれておろしてしまった事を後悔しました。物資問題の難しさを感じました。物資集積所の高校の体育館では高校生が懸命に物資の整理をしていましたが、既に水は飽和状態になりつつあり、衣類も今後の気候の変化に対応したものであるかどうか微妙です。

午前中伺った地区は津波で道路が陥没し孤立した地域でした。自衛隊が設置したはしごの通路を上り、瓦礫と化した港を15分ほど歩いた丘の上にある地区で、71戸あった家が10戸になってしまったそうです。わかめの加工場のある一般住宅と民宿が避難所となっていました。

「津波てんでんこ」のむごさ

たまたま地区で法要があったため地区のみんなが助かった、とか、浮き球に必死になってつかまり続け全身傷だらけになりながら助かった、とかの話があった中で寝たきりのお年寄りを抱えたご家庭の話には胸が塞ぐ思いでした。津波が来た際一緒にいた訳ですが、寝たきりのおばあさんを一緒につれて行く余裕も無く、「ばあちゃんごめん」と謝りながら必死に逃げた方がいるそうです。津波からの逃げ方からすればそれ以外には無く、方法としては全く正しいのですが、残された方、残さざるをえなかった方の気持ちを考えるにつけ、津波災害の残酷さを痛感させられました。このような方が今後元気を取り戻せるのはやはり同じ苦しみを共有できるこの地ではないのでしょうか。そのためにも今まで以上の長期にわたる支援が絶対に必要だと感じて帰ってきました。

現地ではガソリンスタンドも営業を始め、おかげで長蛇の列が緊急車両の妨げになるのですが、お風呂屋さん営業再開や、コンビニに弁当がならび始めるなどすこしづつ秩序が戻りつつあります。

宮城県気仙沼市