東北地方太平洋沖地震レポート

被災地NGO恊働センター

(震災がつなぐボランティアネットワーク メーリングリストより抜粋)

岩手県大槌町からのレポート(3/28)

28日、大槌町の臼澤鹿子踊保存会館伝承館にて、昨日に引き続き「まけないぞう」づくりと足湯を行いました。

まけないぞうづくり

今日は新たな作り手さんと、昨日(27日)参加した方が作ってくれました。今日初めての方は、被災後ずっと幸い流れされずにすんだ家の片付けを毎日のようにしていて、手が腱鞘炎になり、ケガもして昨日まで腫れていたそうです。今日は疲れたので、休んでストレス解消にとまけないぞう作りをしてくれていました。臼澤は少しだけ内陸で、この避難所の方は、1階などが浸水はしたものの片付けをすれば何とか住める状態の人が多いです。それでも車や何もかも着の身着のままで逃げてきた人もいます。少しずつですが、ボランティアの方が現地に入って片付けが始まっています。

8歳くらいの女の子も朝から午後まで夢中になって4頭も完成させてくれました。この女の子は避難所の中でも少しお姉さんなので、年下の子どもたちの面倒をよく見てくれています。でも風邪気味で咳をしているとボランティアさんに「のど飴、なめる?」と聞かれても遠慮して「大丈夫!いいです」と応えました。遠慮しないでいいんだよというと「遠慮しちゃう」と言っていました。年下の子どもたちには、自分の持っているドロップを分けてくれているのに、自分は我慢をしているのです。こんな小さな身体で大人と同じくらいのショックを受けているのにも関わらず、人に気をつかっている健気なようすには心を打たれます。子どもたちに家に様子を聞くと、「うちは1階が流された。でも全部流されていないから、まだマシだよ」と・・・そんな言葉を子どもから聞くこともとても胸が痛みます。

足湯

今日は足湯もスタートしました。最初はみなさん何をされるのか不安そうな様子でしたが、スタートすると体験した人が「よかったあなたもやってみれば」と広がり、気がつくと長蛇の列。20人ほどの人たちが参加してくれました。みなさん、足湯をやりだすと堰をきったように家の状況、被災の状況を話してくれます。

この避難所も、近くの自衛隊のお風呂が1週間に1度に制限され、なかなかお風呂に入れない状態になってきているそうです。被災から2週間が過ぎ、疲労のピークを迎え、風邪もはやっていて、多くの人たちが体調を崩し始めています。厳しい状況のなかでも足湯やまけないぞうづくりをすることで心やすらぐ時間を過ごすことができました。

岩手県大槌町

「津波(命)てんでんこ」(吉椿雅道のレポート)

数年前、岩手県三陸海岸を歩いて「いのちをまもる智恵」という本を作った。宮古市田老町は過去に数十回の津波の被害を受け、「津波太郎」という汚名をもらっている。特に1896年(明治29年)の明治三陸津波では1859人が、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、911人が犠牲になった。

その後、世界最大の防潮堤や防潮林、防災無線、避難通路の確保など二重、三重に津波を防ぐ備対策を講じてきた田老町であるが、今回の津波は、世界最大の防潮堤(高さ10m、総延長2.4km)をはるかに超えて、約500mが倒壊したという。宮古市全体では、死者307人、行方不明者約1700人、避難者8836人(人口の4分の1)という被害を出した。(23日現在)

 拙著「いのちをまもる智恵」でも取り上げている田老町で防災紙芝居を行う語り部、田畑ヨシさん(87歳)は、幼少の頃、明治三陸津波で生き残った祖父から「津波の時は、てんでバラバラ逃げるんだ」という「津波(命)てんでんこ」という伝承を聞かされていた事で昭和三陸津波の際、ヨシさんは逃げのびた。
この地震発生直後、神戸より何度も何度もヨシさんのご自宅に電話をかけていたが、音信不通のまま安否も分からずにいた。だが、先日「ヨシさん、テレビに出てたよ。無事だったよ。」と友人から電話があり、安堵した。ヨシさんは、いち早く高台に避難し、妹さんの家に避難していたそうだ。

だが、ヨシさんは。「もうこの町には住みたくない。」、「語り部としての役割は終わった。」と語っていたそうだ。悲しい言葉だが、それだけ過酷な状況だったのだろう。でも「誰か、津波の恐ろしさを語り伝えてほしい」とも言っていたそうだ。津波を何度も経験したヨシさんは、今どんな思いで暮らしているのだろう。

宮古市田老町