東北地方太平洋沖地震レポート

山形県米沢市から(吉椿雅道のレポート 4/3)

米沢市営体育館。未だ500人近くの被災者の人々が暮らす。同じ被災者と言っても状況は全く違う。南相馬市で津波で家も車も流され、津波の水を被って命ギリギリのところで生きのびた家族、地震で家はそれほど被害はなかったが、この数日で原発の放射能濃度が上がり、急に逃げてきた福島市の親子、20km圏外の相馬市で自宅は無事で、原発が落ち着けばすぐにでも戻りたいと思っている高齢の人々。南相馬に家族を残してきた人、皆、被災状況も出身もそれぞれである。

足湯の場に集まってくる子どもたちの会話の中にも「家がなくなった。ランドセルもなくなった。」という言葉も聞こえてくる。「Aくんは家があるからいいよね。私、家ないもん。」というEちゃん(8歳)は、隣で同世代の子どもがゲーム機で遊んでいる姿をうつろな目で見つめていたそうだ。それを見ていた足湯隊の若者はつらかったとつぶやいた。

被害状況も出身も違う人々が同居する避難所。時間が経てば経つほどその「違い」がとくっきりと見えてくる。

 

被災地NGO恊働センター 吉椿雅道

(震災がつなぐボランティアネットワーク メーリングリストより抜粋)

山形県米沢市

岩手県大槌町から(増島智子のレポート 4/4)

いまだ余震が続いている被災地で、今日も夕方頃に外にいてもわかるくらい地響きとともに大きな揺れを感じました。被災地の多くの人は、あ~また揺れていると、なんだかみなさん揺れに対して慣れてしまっている様子です。

今日は、昨日布団がなかった小槌エリアの施設避難者の方に布団を運び入れました。こちらも支援の手がこぼれていたところです。ここは足湯のつぶやきを通して、ニーズを拾えたところです。ただ物資をもっていって「要りませんか?」と聞いただけでは、このようなニーズを拾うことはできなかったと思います。やはり面でとらえるのではなく、点を浮かび上がらせ面にしていかなくてはならないのでしょう。また、昨日は具合が悪いと訴えていた男性も今日は体調がよくなり、落ちつていられるということでした。

今日の足湯隊は以前にもお邪魔した小槌エリア「臼澤鹿子踊保存会館伝承館」を訪問しました。2回目ということもあり、行くとみなさん靴下を脱いで順番待ちをしています。最初は子どもたちが並んで足湯をしていました。その中でも一人の女の子は津波で家を流されていました。他の子たちは、家はなんとか流されずにすんだようです。お互いに気を遣いながら過ごしているようですが、すべてを流されたこの女の子の心境を考えると・・・

また今日はこれまでの最年少の4月6年生になる男の子が足湯に参加してくれました。彼は、お湯・お水をきちんとチェックしなくならないように部屋と外を行ったり来たりしっかり働いてくれました。彼は、「私はねぇ、桃太郎トマトの種を育てていて、原発のことで種が出荷できなくて、残念だ~。何年生?(4月に6年です(自分))えらいね~。こうゆうのはすきじゃないとできないよ。お風呂に入ってるみたいで気持ちいいね~。」というつぶやきを拾ってくれました。このつぶやきによって、この人にトマトの種を届けることができ、また笑顔が戻る日がくることを願ってやみません。

もう一つは、以前にも布団を届けた「小槌地区多目的集会場」です。そこでは、「大槌市内から来ました。父親が見つからないそうです。お茶やコーヒーも全く飲めてないそうです。鏡やくしなどが欲しいとのことです」というつぶやきを聞きました。どこの避難所の人たちも状況は徐々にではありますが、生活必需品を必要とする声が聞こえてきます。なかには、家がすべて流され、もうあきらめて、埼玉に住んでいる娘のところに行くという女性がいらっしゃいました。「この年になって見知らぬ土地に住むなんて思いも寄らなかった」と不安そうな思いを打ち明けてくれました。県外避難者も多くいますが、長年住み慣れた土地を離れるということはとても辛いことです。県外に避難されている方が孤独に陥らないように安心して暮らせる環境を考えていければと思います。

岩手県大槌町